父の闘病生活
2008 / 04 / 06 ( Sun )
けいなみです。

更新が滞ってしまいました。

3/25から4/3まで10日間ほど、急遽、青森に帰っていました。

今まで書かなかったのですが、思い切って書くことにします。

父が数年前から癌に侵され、2007年秋頃からは頻繁に入退院を繰り返すようになりました。

病院の対応の悪さ、先生からの話が私まで正確に伝わってこないことで、2007年秋にも急遽、帰ったりしました。
自分がその場にいれないことで全ての対応が後手後手になってしまったこともあり、少しでも後悔しないようにとの想いもあり・・・。
セカンドオピニオンも検討したり、先生と話し合い、今後の治療方針についても確認しあいました。

2007年12月には、少し前から苦しむだけだからと先生に止めたほうがいいのではと言われていた抗がん剤の治療も止めました。

父は年末年始も病院で過ごすことになり、2008年2月からはずっと入院生活となっています。
バイパスが詰まってきているために黄疸も進行してきたようだ。
秋の時点ではバイパスも詰まったら変えることもできるとの話もあったが、現実問題として、体力的な問題もあるし、体力がOKだとしても難しいことに変わりはないようだった。先生は父の前だったから、交換もできるし、いろんな方法があるから前向きに頑張ろうとそう言ったのだろうと思う。

2月中旬には腹水もたまってきているようで、お腹がたぷたぷと膨れてきているようだ。

急遽、3/25朝に連絡が来て、看護婦さんから家族を呼んでと言われたらしい。
すぐ出発準備して、午後出発し、夕方に青森に着き、病院へ。

酸素マスクをしていて、点滴に痛み止めの注射を入れているようだ(2.0ミリリットルと書いている)。
呼べば、「あ〜」「ん〜」とは一応返事が出来て、たまに苦しそうだが話すことはできるようだ、自分でも痰を出して、手で顔を拭いたりしていた。たいきが来たよって言うと、たいきの頭をなでなでしてくれた。しかし、体はもはや自分では動かせない状態。

お母さんや妹はずっと付き添いして、見ているから平気だが、私たち3人は久しぶりに見るので、すっかり変わってしまった姿を見て愕然としました。

容態としては今は少し安定しているようだ。
呼んでと言われたときには、心拍や血圧が安定しなったようだが。

日に日に弱っていくのが目に見え、3日後には、少しずつだが応答もできなくなってきた。
痰も自分では出せなくなり、看護婦さんに吸入器の先にカテーテルをつけて、口や鼻から入れて取ってもらうしかない。長いカテーテルを全部入れるので、つらそうである。

徐々に痛み止めの量も増やしていき(ぐっすり眠れるようにという意味もある)、5日目くらいには4.0ミリになり、その後、強いのに変えましょうと言って、モルヒネと書かれた注射にして、1.0ミリに変えた。
先生からは、痛み止めを増やしていくと、もう話せない、応答できないかもしれないと言われた。

痰も、1時間から3時間くらいの間隔で取ってもらわないといけない。
短いときには30分くらいのときもあった。
痰だけでなく、腹水もあがってくるので一緒にとっているらしい。
色も黒っぽくなってきている。

ちなみに病院は24時間看護してくれるようで、必ずしもずっとついている必要はないのだが、常に看護婦さんが見ているわけではないので(というか1時間から3時間くらいに1回程度しか来ない。そのときの状態によっても違うが)、痰がつまったりしても困るので、お母さんはずっと付きっきり(泊まりっぱなし)でいる。もちろん、夜も昼も見ていないと心配だから、満足に寝れるわけもなく。
けいなみと交代しても、家に帰り、シャワーを浴びて、少し家事を済ませ、2時間くらいで戻ってきてしまう。
今までも大変だっただろうに。

3/30 3:30に公衆電話が鳴った。
心拍が停止したようだ。
急いでタクシーで病院へ駆けつける。

けいなみ達が到着した頃には、どうやら、回復してきたようだ。

この後も、けいなみが1人で交代しているときにも、このような状況になり焦った!!
こういう時に限って、ナースコールしてもすぐに看護婦さんが応答しないし・・・。
看護婦さんを待っている時間がとても長く感じた・・・
看護婦さんが来た頃には心拍も回復してきた。

どうやら、元から無呼吸症候群の気があるようだ。
早く言ってくれ〜。

その後は痰がうまく取れたこともあり、呼吸がだいぶよくなってきた。
酸素の供給量も減らしてきている。それまでは一杯一杯まで供給していたのだ。
酸素マスクもはずしますかって言われたくらい。

担当の先生に聞いたところ、時々苦しそうな顔をするのは(何か言いたいだけなのかもしれないが)、痛み止めに慣れてきて、もしかしたら苦しいのかもと。
呼吸がぜいぜい言っていたのは痛み止めの副作用のせいもあったみたい。

だいぶ安定してきているので、暫くこの状態かもしれないとのこと。
親戚にも相談し、この状態になってから1年以上になるときもあるしということで、一旦、さいたまに戻ることにした。

次にくるときには間に合わないかもしれないけど、話せなる前に会えたし良かったんだと思う。

元気な親、うるさい親、いろいろだと思うけど、すっかり変わり果てた姿でもはや自力では何も出来ない親を見ると、本当に愕然とします。

皆さん、親が健康なうちに、たくさん話したり、親孝行してくださいね。


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